【人生で大切なことはクラブで教わった】勝ち組でいることの優越感と負け組でいることの悔しさについて

あなたはクラブに行ったことがありますか?

クラブという場所は、勝ち組と負け組の違いがハッキリとわかれる場所です。

クラブでは、今夜も「持てる者」と「持たざる者」との戦いが繰り広げられています。

目次

人生で大切なことはクラブで教わった。勝ち組でいることの優越感と負け組でいることの悔しさについて

まず始めに説明しておくと、ここで言うところの「勝ち組」と「負け組」には2つの意味があります。

ちなみに、DJとかがいる踊る方のクラブのことです。

一つは、クラブ内には、VIP席とその他(そもそも席がない)の棲み分けがあり、VIP席にいる人たちを勝ち組と定義し、それ以外の人たちを負け組と定義するという見方です

お金さえ払えば誰でもVIP席でお酒を飲めますが、とはいえ、クラブによっては一晩でかなりの金額設定の場所もあるので、気軽にいつでも、というわけにはいきません。

クラブのVIP席にいるのは、怪しそうなおっさんや、「親が金持ちなのかな?」と思うような学生集団です。

渋谷や六本木のクラブのVIP席には芸能人もいます。

あっ、もちろんふつうの会社員っぽい人もいますよ。

クラブ内では、基本的にVIP席にいる人たちは「持てる者」たちで、「モテる者」たちでもあります。

クラブによっては、VIP席を取ると、スタッフがナンパ代行をしてくれます。

クラブには、ほぼ毎週クラブ通いで、スタッフとも仲が良いというようなサクラっぽい女性もいますが、もちろんごく普通の女性もいて、綺麗であれば、スタッフからVIP席へのお呼びがかかります。

女性のほうでも、金のない連中とチビチビ酒を飲むよりも、高い酒を浴びるように飲む男といたほうがメリットが多いので、VIP席という後ろ盾があるだけで、モテます。

二つ目の意味としては、VIP席を取っていない人たちの間でも、女性の奪い合いという弱者同士の戦いが起こっていて、弱者の中でも、さらに「勝ち組」と「負け組」がわかれるということです。

私は、クラブという場所で、「勝ち組」でいることの優越感と「負け組」でいることの悔しさを学びました。

ごくふつうの日常生活の中では、「勝ち組」と「負け組」の境界線は、オブラートに包まれたように、わかりづらくなっています。

他人の生活にい触れるということがあまりないので、自分が今どちらにいるのかがわかりづらくなっています。

経済的に豊かでなかったり、人生がうまく行っていない人が、「自分は勝ち組だ」と思うことはないにしても、だからといって、「自分は負け組だ」と思うこともないでしょう。

日常生活には、「勝ち組」と「負け組」の間が存在するからです。

そして多くの人たちは、この間の部分に入っています。

ですが、クラブという場所には、「勝ち組」と「負け組」の間がありません。

あくまでも異性の獲得という点に焦点を置いて述べるのであれば、クラブには、異性を獲得した「勝者」と獲得できなかった「弱者」しか存在しません。

クラブの中にはたくさんの負け組と少数の勝ち組がいる

クラブの中には、
たくさんの負け組と少数の勝ち組がいます。

女性の獲得という点に焦点を置いてみれば、なぜ負け組は多数派で、勝ち組は少数派なのかがすぐにわかります。

その理由は、男女比の問題です。

クラブや、その他多くの出会いの場では、大抵の場合、男女比の比率バランスがおかしく、男が多く女が少ないという構造になっています。

クラブも例外ではなく、男女比は7:3くらい。

もう少しマシなところで6:4、ひどい時には9:1とかもあり得ます。

つまり、
少数の女性をめぐって戦いが起こるのです。

これって資本主義社会の構造と同じじゃないですか?

そもそもの構造上に欠陥があるので、皆が平等に幸せになれるという世界ではなく、必ず「持てる者」と「持たざる者」との格差が生まれます。

勝ち組には優越感がある

勝ち組に入ると、
やはり優越感はあります。

べつに弱者を見下したいわけではありませんが、何かの獲得競争に勝利することによって得られる心地よさは、われわれ人類に組み込まれているDNAの影響でしょう。

われわれの祖先も、食料や異性など、様々な場面で獲得競争に晒されていたはずです。

今の日本では、「競争ってあんまりよくないよね」という声が上がったりしますが、私個人の意見としては、競争がなかったら、潜在的な能力が発揮されずに終わる人たちがたくさん出てくると思います。

負けるということは決して悪いことではなく、負けることによって、それが大きなモチベーションに繋がることが多々あります。

現に私は、クラブのVIP席で酒を飲む連中を見て、「自分も将来絶対にそこに行ってやる」と、自分を鼓舞していた時期があります。

競争は「敗者を生むから良くない」という声もありますが、敗者になることによって成り上がるキッカケを得るタイプの人たちもいます。

褒められて育つ人たちがいれば、けなされて、笑われて、悔しさをバネに成り上がる人たちもいるのです。

「クラブに行ってみよう」人生では、必ずしも勝ち組に入らなければならないわけじゃないけれど、勝ち組に入れば選択肢が生まれる

「若者に欲がなくなった」と言われています。

この言葉を若者側である私が解釈するのであれば、「欲のない若者」には2種類のタイプがいます。

  • 本当に欲がない人 
  • 欲する対象が世間一般で言われるような「家や車、時計」などとは別の対象である人や、静かなる野心家

世間では、夢も希望もない現代社会で若者が夢を持てなくなったというような見方をされていますが、私は、それは違うと思っていて、欲望の対象が、テンプレートからカスタム化されているだけだと考えています。

カスタム化されているから、おっさん連中には見えなくなっているのです。

たとえばバブルの時代なら、「良い車や良い時計」「綺麗な奥さんや一軒家」が欲の対象だったかもしれません。

それらを追っていれば「夢があって良いね~」と思われたかもしれません。

ですが今の時代はそうでなくて、統一化された欲の対象はありません。

車に興味のない若者はたくさんいます。現に私は、車の種類なんてベンツくらいしか知りません。1ミリも車に興味がないです。

持ち家にも興味がないですし、結婚にも幻想的な期待を持っていません。

では私が「欲のない若者」なのかというと、そうではなくて、「超野心家」です。

しかし、
世間的に見れば、私は「欲のなくなった若者」の原因の一人です。

なぜなら、
欲望の対象が外からは見えないからです。

そして、私のような若者はたくさんいます。

その結果、
「夢を持たない若者が増えた」「欲のない若者が増えた」と言われているのです。

あなたは、どうせ生きていかなければならないのなら、負け組でいるよりも勝ち組でいたほうがよいと思いませんか?

どうせ生きるのなら、カップラーメンや安居酒屋での出世できない人たちとの愚痴の言い合いよりも、高級ステーキを食べる生活や、高層レストランでモデルのような美女と語り合う生活を送りたくないですか?

高級ステーキやモデルのような美女と遊ぶことが人生において必ずしも価値があるわけではありませんが、勝ち組になることで、人生に選択の幅が広がります。

たとえば経済的に力があれば、明日会社に行くのも行かないのも自由だったりします。

どうせ生きなければならないのなら、選択肢のある生活のほうがよくないですか?

少なくとも私は人生の勝ち組でありたいと願っています。

もしもあなたが、「勝ち組か負け組なんてどうでもいい」とか「向上するモチベーションがあがらない」と思っているなら、それは勝ち組の世界を知らなかったり、負け組でいることの悔しさを経験したことがないからかもしれません。

もしもそうなら、手軽にできる方法として、クラブに行ってみることをお勧めします。

そこでは今夜も、少数の勝ち組と多数の負け組との間で、獲得の競争が行われていて、望む望まないに関わらず、あなたはどちらかに入るのですから、身をもって勝者と敗者の違いを知るにはお勧めの方法です。

まとめ

クラブには少数派の勝ち組と多数派の負け組がいます。

クラブという場では、資本主義社会と同様に構造上の欠陥(VIP席の希少性、男女比のバランス)が存在しているため、勝者はいつも少数派で、敗者は多数派になります。

もしもあなたが勝ち組の世界に触れたことがなかったり、負け組の悔しさを知らないのなら、クラブに行くことでモチベーションが高まるかもしれません。

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