- 「時間の無駄だからテレビは見ない」
- 「何の得もないから飲み会には行かない」
私は人生のある時に、人生のあらゆるものの効率化を図ることでたくさんの時間を生み出し生産的な活動ができることに気付きました。
ですがあらゆるものを捨てた結果待っていたのは、「自分は何のために生きているのだろう?」という疑問でした。
この記事では、たくさんのものを捨ててみて気付いた、「人生で捨ててはいけないもの」についてお話します。
「人生で捨てるべきものリスト」などはけっこうよく聞きますが、「捨ててはいけないものリスト」はあまりないような気がするのでけっこう貴重だと思います。
「人生で捨ててはいけないものリスト」
- 希望
- 異性への関心(性欲)
- 好奇心
希望を捨ててはいけない

私が人生で絶対に捨ててはいけないと思っているのは「希望」です。
少し抽象的ですし、「そりゃそうだろ」というかんじかもしれませんが、それでもあえて書いています。
人生においての「希望」が何をさすかは人それぞれだと思います。ある人にとっては数か月後の海外旅行の予定かもしれませんし、またある人にとっては数か月後に控えた大学や高校の入学かもしれません。
仮にそれが全く叶いそうになかったとしても、その希望を思った時に心がワクワクしたり、明日を生きるエネルギーになったりするのであれば、それは人生に必要な「希望」です。
というのも、たとえば私は大学時に就職先を見つけられずに既卒になりましたし、20代の前半はお金が全然なくて何のスキルもないという、ないもの尽くしの生活を送ってきました。
何度も何度も「人生終わった」と思いましたが、でもそれでも、何度も何度も立ち上がってきました。それはひとえに「希望」のおかげです。
「人生終わった」と思いながらも、20代前半の頃の私には、ポケットからこぼれ落ちてしまいそうなくらいの希望が溢れていました。
- 一泊50万円くらいのホテル
- ネット通販でいつも見ていた人目を引くような高級革靴、家電店のディスプレに飾られた高級時計
- 「この人に出会うために自分は生まれてきたんじゃないだろうか?」と思えるほどの美しい女性
- 高級ホテルのバー、高級レストラン
これから先何度負けようが、いつかそのすべてが手に入るような気がしていたら、どんな失敗や拒絶も耐えられると思っていました。
そして実際に耐えることができて、これこそが私にとっての「希望」なのだと思っていました。
そんな「希望」が消えてなくなってしまったのは、「どれだけ頑張っても何も変わらない」と感じた時でした。自ら捨てたわけではありませんが、ある時「希望」はポケットから落ち、そして私の元から消えてなくなりました。
「失ったものの大切さを本当に理解するのはそれを失った時」とはよく言いますが、「希望」の場合、それは物体として目に見える性質のものではないので、「自分が希望を失っているかどうか」にすらはじめは気づいていなかったです。
「希望」の場合、希望を失っていることに気付くのは、希望を失い、そしてまた手に入れた時だと思います。
「あの時失っていたのはこれだったんだ」気付いた時、はじめて「希望」の大切さに気付くわけです。
「希望」は自分を大切にする源だと言うこともできます。
たとえば「海外旅行」という目の前の希望がある時には、そのために貯金をしたり健康に気をつかったりすると思います。
ですが将来に対して何もなかったらどうでしょう?
何もないと思ってしまったらどうでしょう?
数年後に健康でいても仕方ないと思ってしまったらどうでしょう?
私の場合、毎日のようにアルコール9%のストロングゼロを飲み、深夜にラーメンを食べ、髪はボサボサ、肌の手入れなどもしなくなりました。
「希望」を持ち続けるのってけっこう大変だと思います。毎日目にする暗いニュース、先行きの不透明性を煽るだけの評論家。失おうと思えば、ほんのちょっとしたキッカケで失うことが可能です。
だからこそ、
失わないように大切に持ち続けている必要があるのです。
スマホは割れないようにケースを付けるのに、パソコンはウイルスソフトで守るのに、「希望」はけっこう無防備状態の私たちです。
暗いニュースを無尽蔵に頭に入れ、人の悪口に愛想笑いし、経済評論家のポジショントークを素直に受け入れる。大切に守っていないと、「希望」は攻撃されてしまいます。私はお金や仕事よりも、何よりも「希望」を守ることを優先します。
なぜならそれが、人生で最も大切なものだと知っているからです。
異性への関心(性欲)を捨ててはいけない

「性欲」というのは中々やっかいな存在だと、人生のどこかで思い悩む人たちもいると思います。私もその一人でした。
「性欲」のパワーはすさまじく、時には犯罪の根源になることもあります。もしも男の「性欲」を奪い取ったら、この世の犯罪の過半数がなくなると思います。
「性欲」の厄介な点は、それをコントロールするのが非常に難しいということです。
「性欲」をコントロールできない人たちは犯罪をおかしますし、犯罪ではないものの、男子中学生や男子高校生が、思い返すと赤面してしまうような言動をするのは、きっと「性欲」のせいであり、おかげです。
中年になれば性欲の減退が悩みになることもありますが、若い頃というのは「性欲の強さ」に思い悩むことの方が多いはずです。
性欲と異性への関心をごちゃ混ぜにしているような気もしますが、やはり、異性への関心と性欲は切っても切れない存在です。「性欲」を完全に失った時に異性に対して何を思うかはわかりませんが、「性欲」が限りなく0に近くなったことはあります。
その時にどんなことを思ったかというと、「人生頑張っても意味がない」と感じました。
異性と話しても「楽しくない」と思いました。あくまでも個人的に感じたことではありますが。
「英雄色を好む」とか、ナポレオンヒルの著書の中に「成功したいなら性エネルギーの転換が必要」とか言った言及がありますが、「事を成すこと」と「性欲」には強い関連があるというのは、あながち間違っていないんじゃないかと私は考えています。
※「異性への関心(性欲)」は主に男性向けに書いています。
向上心を捨ててはいけない

私は「成長」や「自己投資」という言葉が大好きです。毎日本を読み、経験を積み、一日が終わった時に「何かしら昨日の自分よりも向上していたらいいな」といつも思っています。
歩いている時は音声学習し、電車などで少しでも座れたら本を読み、仕事中もわからないことや新しい課題にぶつかると「これを解決したらまたレベルアップできる」とワクワクします。ですが反面、時々疲れることもあります。
「この旅に終わりは来るのだろうか?」と心が折れそうな日もあります。
実際のところ、向上心のない人たちはたくさんいます。
仕事から疲れて家に帰った後にテレビを見て、たまの休日は寝て過ごす。
必ずしもそれが悪いことだとは思いませんが、もしも心のどこかで「もっと楽しいことないかな」とか「自分の人生こんなもんじゃない」とか思っているなら、向上心は決して捨ててはいけない、というか向上心を呼び起こす必要があると私は思います。
こんなことを言うと「意識高い系」と思われるだけかもしれませんが、やはり人生は「頑張っている時が一番楽しい」と思います。
私にも大学生の頃やニート期間など、ダラダラと過ごしていた頃もありますが、ダラダラ過ごしていた時と毎日ヘトヘトになるまで働いている時とを比べたら、身体的につらいのは働いている時ですが、心はダラダラしていた頃のほうがつらく、一生懸命働いている時のほうが気持ちいいです。
努力は裏切らないかどうかは私にはわかりませんが、向上心をもって努力をすれば何かが変わることは事実です。

まとめ
生産性を優先するのなら、飲み会やテレビは無駄な行動です。
動画を見ることも音楽を聴くことも無駄なことです。
人生に効率化を求めるのなら、人生には捨てたほうがいいものがたくさんあります。実際のところ、捨てれば捨てるほど時間やお金が生まれます。ですがその一方で、感情とか余裕とか、人生においてすごく大事なものもなくなってしまうように思います。私は実際にこれを経験しました。
自己啓発本なんかでは「捨てる」ことの重要性が説かれていますが、捨てることと同じくらい捨てないことも大事だということを伝えたくてこの記事を書きました。
それでは、お読みいただきありがとうございました。