【0点チャンピオンは危険】才能がない人の最適解は学歴の獲得

うろ覚えですが、アニメ『クレヨンしんちゃん』のワンシーンに次のような会話がありました。

しんちゃん「そんな人生楽しい?」

風間くん「ぼくの人生は後半楽しくなるんだよ」

この記事は「日本社会における学歴の重要さ」について書いた記事です。

内容としては、「日本は学歴社会だから人に誇れる学歴を持つために頑張ろう」という趣旨なのですが、対象読者は、当ブログの主要読者層の25〜34歳くらいです。

となると、すでに大学を卒業している人たちに対して、「学歴が大事」だと主張することになるので、矛盾が発生します。

「せめて子どもは頑張らせたほうが良い」と教育的な視点から語ることもできますが、私は教育者ではないし、子どももいないので、そんなことを語る資格もないです。

では何のためのこの記事を書くのか?

それは学歴社会が、我々が生きているこの世界にある「生きづらさ」に深く関わっているからです。

当ブログは、「生きづらさを抱えている人たちが、少しでも生きやすくなるためには?」を、主題の一つとして扱っています。

私自身は学歴で損をしたことはほぼない(中堅レベルなので得したこともないです)ですが、学歴によって将来の選択肢を狭められてきた友人たちを見てきました。

自分の経験や、まわりの人たちを見て、私は学歴社会への迎合が日本人の最適解だと考えるようになりました。

「学歴社会をぶっ壊せ」みたいなデモを行うこともできますが、たぶんそんなことをするよりも、必死で勉強したほうが幸せになれるし、現実的です。

目次

才能がない人の最適解は学歴の獲得

スポーツや芸術よりも学歴を追え

日本人の18歳までの人生戦略の最適解は、学歴の獲得というのがこの記事での主張です。

スポーツや恋愛に時間を使うのもけっこうですが、人生の最優先事項を学歴の獲得にするべきだと考えています。

理由は、スポーツや恋愛では仕事を獲得できないが、学歴があれば高待遇の仕事を獲得できるからです。

多くの人が、子ども時代に運動や音楽など、才能が必要な対象に時間を使います。

単純に遊びとしてとか、社会性を身につけるためとか、そういった理由なら問題ないですが、「人生かけてます」みたいなレベルで頑張るのは完全に間違っています。

なぜなら、ほとんどの人たちの夢は、破れるからです。

「才能は必要かどうか?」みたいな議論はよくされますが、運動や芸術に関して言えば、才能は関係あると考えています。

才能というと「才能のせいにするな」と言われるので、「適性」と言い換えましょう。

たとえば、ビジネスの世界でも、
営業マン向きの人がいれば、
プログラマー向きの人もいます。

営業マン向きの人がプログラマーになることもできるし、プログラマー向きの人が営業マンになることもできます。

ただ、それだと成果が出しづらいし、
本人も辛くなる場合があります。

社会人であれば、誰もが一度は「適性」について考えたことがあると思います。

運動や芸術にも適性があります。

バスケットボールに適性がある人がいれば、音楽に適性がある人もいます。

でも大抵の場合、「子どもの好きなことをやらせよう」と考えて、単純に好き嫌いとか、カッコ良い悪いとかで、何に時間を使うかを選びます。

そしてその結果、ほとんどの人たちが、大した成果も出せずに、無駄に時間だけを消費していきます。

たとえば、「甲子園に出場した」となれば、人生のどこかで得することがあるかもしれません。

ただ、甲子園って、出場すれば万歳ですが、出場できなかったら時間の無駄じゃないですか?

「いや、練習なんてテキトーなんで問題ないっすよ」というなら良いかもしれませんが、たぶんそんなことはなくて、甲子園に出場できない高校でも、甲子園で優勝する高校と同じくらい頑張って練習しているはずです。

でも出場できなかったら、
その時間も無駄になります。

「お前たちはよく頑張ったよ」と大人たちは言うかもしれませんが、その後の人生まで面倒を見てくれるわけじゃないですよね?

練習が厳しいところだと、疲れが溜まって、授業中に寝ている球児もいるはずです。

野球に人生をかけすぎて、勉強なんて全然していない人もいるはずです。

ホームランを打てば監督は満足かもしれませんが、頭の悪い大人が将来どれだけ苦労するか一度でも考えたことがあるのでしょうか?

高校生の頃には「学歴フィルター」なんて考えませんが、大学生になって就職活動をするようになって初めて気づくのです。

「自分の人生は失敗だった」と。

野球に人生をかけて、将来、野球でお金を稼げるようになれば良いかもしれません。

でもそんな人は一握りで、ほとんどの人たちが、野球とは無関係のことでお金を稼がざるを得なくなります。

野球という手段で勝負していたのにもかかわらず、ほとんどの人たちが、結局は「学歴社会」というフィールドで職を探すことになるのです。

とは言っても、子どもの頃は自分の才能を信じて疑わないし、「努力は報われる」みたいなアニメも好みがちです。

だから多くの人たちが、
努力で勝負に打ち勝とうとします。

でも現実的には結局負けるので、本来ならば、親や周囲の大人が方向性を変えるべきなのです。

つまり、アピールできる学歴の獲得に時間とエネルギーを使わせるのです。

勉強も運動や芸術と同じように、
才能(適性)が必要という見方もあります。

勉強嫌いはいるし、
全然点数が取れない人もいます。

でも運動や芸術で成果を出すよりも、
勉強のほうがずっと簡単なのは間違いないです。

甲子園に行ってプロにスカウトされるのと比べたら、テストで100点取るくらい簡単ですよね。

それに、『ドラゴン桜』のように、勉強にはある程度勝率の高い「勝ち方」が存在します。

でも運動や芸術の場合には、個人の身体や感性みたいなどうしようもない要素に左右される部分が多いので、頭を使って勝つのが難しいです。

「学校の勉強なんて意味ない」と言う人は、勉強が意味ない世界で生きているだけ

「学校の勉強なんて意味がない」と言う人たちもいます。

人それぞれ根拠があるのだと思いますが、
こういった発言を聞くときは、
その人の立場を考えることが大事です。

たとえば、それがドラマやアニメでのセリフだった場合、それはフィクションの世界のことなので、真に受けてはダメです。

あるいは、その人が勉強が関係ないような仕事をしている場合にも、真に受けるにはNGです。

世の中には、学生の頃の勉強が必要な仕事もあれば、勉強なんて一切できなくてもできる仕事もあります。

片方の人たちはもう片方の世界が見えないので、注意が必要です。

また、勉強が必要な世界から必要のない世界に行くことはできますが、必要ない世界から必要な世界には行けないという現実もあります。

よって、とくに勉強が必要のない世界で生きている人たちの「学校の勉強なんて意味ない」という発言には注意です。

たとえば、YouTuberのゆたぼん氏は「不登校の自由」を主張していて、個人的に彼の行動力や度胸を尊敬しているのですが、彼の意見を子どもたちが真に受けるのは非常に危険です。

ゆたぼん自身はお金を稼げていて知名度もありますが、彼の意見を真に受けてドロップアウトした人たちは、たぶん生涯ブルーカラーの労働者になると思います。

小学校や中学校で運動ができた奴は今何をしていますか?

小学校や中学校では、ちょっと悪い奴とか、運動神経が良い奴が良い思いをしたりしますが、そういう人たちの今ってどうですか?

同窓会などに出る人なら、
現状を知ることができるはずです。

きっと、「あの頃あんなに輝いていたのにな」と思うはずです。

私自身、中学時代は不良と呼ばれる存在だったのですが、仲の良かった友人のほとんどが中卒です。

彼らは、私が高校生活をエンジョイしているときに、ブルーカラーとして毎日仕事をしていました。

100点なんか取らなくていい

大事なのは 女の子にもてることだよ

0点チャンピオン・・・

0点チャンピオン・・・

お勉強ばかり がんばっても

ダメなのさ

逆上がりが できなくちゃ

けっこう カッコ悪い

『0点チャンピオン』 Junichi&JJr

『0点チャンピオン』は良い曲だし、テストの点数が悪い人は慰められるかもしれないけれど、この曲を真に受けると人生が終わるので、ある意味R指定の曲です。

勉強なんかできなくても女の子にモテることはできますが、それは学校という枠組みの中での話です。

一歩外に出れば、
不良と優等生とでは立場が逆転します。

この世を動かしてるのは100点を取ってた人間で、命令されるのは0点だった人間なのです。

ただ、学歴は親に左右される

子ども時代の生活は家庭環境で決まる

ただ、悲しきかな、学歴は家庭環境に影響を受けます。

低学歴&低収入でも「東大に受かる子」を育てる親が毎日していること4つ

↑記事の概要

親の年収と学歴が高い家庭の子どもほど学力が高い

やはり環境って大事です。

子どもは純粋なので、親から言われたことを「唯一絶対」と信じ込む傾向にあります。

ですから、「東大に行くのが当たり前」というような環境で育てば、それがいつしか、子どもにとっても当たり前になります。

でも「東大って灯台のことじゃなくて?」と冗談で終わる環境で育てば、それも事実になります。

「いや、そんなことはないよ。本人の努力次第で変えられる」と思う人もいると思いますが、そういう人はたぶん恵まれています。

私自身は比較的恵まれた環境で育ちましたが、私の友人の多くはそうではなく、「どこの大学に行く?」という以前に、そもそも大学という選択肢が存在しない環境で育った人たちが多かったです。

私のまわりのケースで言うと、
片親の人たちの進学率は異常に低かったです。

本人の努力不足ももちろんありますが、学歴のない人の多くは、環境的に偏差値の高い大学への進学に適していない場合が多いと思います。

親が低学歴で学歴の恩恵を受けていないから、「別に大学なんて行かなくても良い」「どこの大学でも良い」と言われてきたといったようなケースです。

でも学歴社会の構造に気づいている人たちは、子どもの教育に力を入れています。

「親ガチャ」という言葉が話題になりましたが、親の収入による格差を見てきた私が思うに、生まれる環境が人生の成否に大きく関わっているのは間違いないです。

すでに卒業してしまっている人たちの人生戦略

失敗した人たちの人生戦略

あまり楽しくない話をしてきましたが、「さてこれからどうしよう?」というのがここからの話です。

私を含めですが、たぶん当ブログの読者の圧倒的多数が、大学生の歳を超えていると思います。

つまり、「学歴が大事」といくら言ったところで、それは後悔にしかならないということです。

その後悔をずっと持ち続けることもできますが、そんなことは無意味なので、「ではアピールできるレベルの学歴がない場合にどうするか?」という点について考えていく必要があります。

可能性はたくさん考えられますが、私が実際に話せることは限られているので、その中から一つお話しします。

「学歴がなくても成功できる」現実的な方法のひとつは、起業です。

自営業と大企業ではとスケールが違いますが、要は資本家になるということです。

学歴というのは人から雇われることを考えた場合の最適解であって、自ら仕事を作る場合にはそれほど重要ではありません。

頭の良さ自体はもちろん必要ですが、学歴という観点から見れば、そんなものはなくてもお金を稼げます。

起業して成功するためには、「顧客を獲得する営業力」と「その仕事のスキル(外注も可能)」です。

「東大卒」みたいなアピールをすることもできますが、それは少数で、ほとんどの起業家は学歴の恩恵なんて受けていないはずです。

大企業の2代目以降の社長には高学歴もいますが、創業者や、そのへんでコツコツやってる自営業者には、「高校もろくに出ていない」みたいな人たちもいます。

「自営業としてやっている人は会社員だったら無能」という話を聞くこともありますが、実際、「この人会社員だったら使えないだろうな」と感じる人は多いです。

だからこそ、学歴によって人生を閉ざされてしまっている人にとっては希望なのです。

学歴社会で失敗すると、ふつうに生きているだけじゃ、生涯低賃金で人に使われることになります。

勤続年数は上なのに、高卒というだけで、入社初日の大卒新人よりも給与が低いこともあり得ます。

でもレールの外に出れば、
学歴フィルターは無効になります。

簡単な道ではないですが、一つの希望として持つことはできるのではないでしょうか。

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まとめ

「良い会社に入るために勉強して良い大学に入りなさい」

この言葉に反発する人たちは多いし、社会の流れも段々と変わってきていますが、それでも今のところ、才能がない人たちの最適解は勉強です。

一部の適性がある人を除けば、
スポーツや芸術に時間を使うのは無駄です。

というか危険です。

あくまでも経済的、
仕事の成功という点においてですが。

でも子どもの頃は苦よりも楽を選びたいし、親だって子どもの笑っている姿を見ていたいから、勉強よりも大切なものを見つけようとします。

そして大人になって、はじめて「あの頃勉強しておけば良かった」と気づくのです。

「人生の前半を楽しむか」それとも「人生の後半を楽しむか」

風間くんは偉いです。

『0点チャンピオン』に共感しているよりも、『ドラゴン桜」の桜木先生を信じたほうが、たぶん才能のない人たちは幸せになれます。

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