意識高く生きることは悪いことではありません。
でもあまりにもストイック過ぎると疲れます
私自身、意識高い系と意識低い系の両方の人生を経験しましたが、どちらか一方を選べと言われたら、確実に意識高い系の人生を選びます。
ですが、意識高く生きることのデメリットとして、あまりにもストイック過ぎて自分自身が疲れてしまったり、あまりにもポジティブ過ぎるがゆえに周りの人たちに「ウザい」と思われてしまうこともあります。
【過去の自分】
意識高い系の頃は仕事をしながら毎週土日は習い事、毎日ビジネス書を読んでいた。
意識低い系の頃はニートだった。
「意識ハイブリッド系でいこう」
意識ハイブリッド系とは、意識高い系と意識低い系の良い面だけを組み合わせた新しい生き方です。
私は人生の中で、
超絶意識低い系だったことも、
超絶意識高い系だったこともあります。
超絶意識低い系の頃は仕事をしていませんでしたし、彼女の家に転がり込んでヒモのような生活を送っていました。
意識高い系の頃は毎週のようにビジネスセミナーに出席し、数え切れない量の本を読み、「意識低い人たちとは会話もしたくない」というような生き方をしていました。
どちらの生き方にも、良い所と悪い所がありました。
意識低い系の頃は、基本的に何事に対してもやる気がなかったので、その結果ニートになりましたし、お金もありませんでした。
ですが、意識低い系の頃の自分には、時間がたくさんあり、そして周りの人に対して優しかったように思います。
それに対して、意識高い系の頃は、いつも何かに追われていました。
休日は、習い事とセミナーと勉強で自由な時間がほぼなく、その当時はほぼ誰とも遊んでいません。
休日含め常に時間に追われていたので、日常で心が休まる瞬間が非常に少なかったです。肉食動物に怯えるサバンナの草食動物並みに、「人生このままじゃヤバい」という恐怖観念を持って生きていました。
意識高い系はずっとは続かない
【意識高い系の特徴】
- 「成長につながるかどうか?」が物事の選択基準
- 自分の力で現状は変えられると思っている
- 人の悪口を言っている暇がない
- 過剰に自己否定する傾向にある
- 疲れを知らない・・・風を装っている
- 向上心がありすぎる
- 野心を抱いている
- あえて生きづらい道を選んだりする傾向にある
- 健康に気を遣いすぎて逆に不健康になる
- 目の前の相手にも自分と同じ意識の高さを求める
- ストレスを成長の証と思い込んでいる
- SNSで「俺も頑張るから皆も頑張ろう」みたいなことを平気で言ってしまう
- ポジティブすぎる
- 日常の問題は差し置いて「世界を良くする」という壮大な夢を持っている場合がある
- カフェでPC作業をしがち
- カフェで読書をしがち
- まわりから「意識高すぎてウザい」と思われても基本気にしない
- ドラマの話をしている人たちとの会話の中で「テレビは見ない」と公言して空気を悪くする
- 自分は何でもできると思い込んでいる
- 意識低い人たちを見下しがち
ではなぜ、私が意識高い系を卒業したのかというと、意識高い系は非常に疲れる生き方だからです。
意識高い系は、常に向上心高く生きているので、必然的にストイックにならざるを得なくなります。
何かを成し遂げるためには、
何かを捨てなければなりません。
たとえば、人生で何かを成し遂げたいと思っていないのであれば、暇な時間にテレビを見るという選択をすることもあるでしょう。
しかし、人生で何かを成し遂げたいと思っている場合には、暇な時間にテレビを見るという選択ができません。
その時間を使って、目的を遂げるための勉強や行動をしなければならないからです。
目的を遂げるための勉強や行動をしなければならないので、必然的に「時間がいくらあっても足りない」という話になります。
「時間がいくらあっても足りない」という話になるので、「無駄な時間は過ごしたくない」「時間を無駄にする人と関わりたくない」という話になってきます。
その結果、たまの休日に意味なくダラダラするというような時間の使い方ができなくなり、心も身体も疲弊していきます
心も身体も疲れが溜まり続けているのがわかっていたので、私は、いつまでもこんな生活は続けられないと考えました。
意識低い系の人生は悪い意味で疲れる
【意識低い系の特徴】
- 「疲れた」「めんどくさい」が口癖
- 「自分へのご褒美」をすぐ使う
- 人の悪口を言いがち
- 時間の概念があまりない
- 現状は変えられないと思っている
- 「やってみれば?」と言われても「どうせ無理」と言ってすぐに可能性を捨てる
- 楽な方へと流れていく
- 向上心がなさすぎる
- 野心がない
- 「何でもいいよ」というスタンスで、自分の意見を持っていない
- うまくいかないことを環境のせいにする
- テレビが大好き
- 健康に全く気を遣わない
- 国や会社が何とかしてくれると考えている
- 意識高い人たちを見下しがち
意識高い系の人生は、心や身体が疲れることはありますがその疲れは案外心地よくて、「もう無理、動けない」というような疲れではなく「あ~やり切った」というような疲れに近いです。
ですので、「疲れる」と言っても必ずしもそれは悪い意味ではありません。
ところが、意識低い系の言う「疲れる」は悪い意味での「疲れる」です。
意識低い系だった頃の私は20代前半だったのですが、毎日疲れていたように思います。心や身体の疲れというよりかは、「人生に対する疲れ」に近いです。
絶望感に溢れているので向上心なんてあるわけないですし、「怠い」とか「眠い」とか、マイナスの言葉ばかりを毎日口にしていました。マイナスの言葉ばかりを口にしていると、何か不思議と疲れてくるんですよね。
「人生終わった」とか思っていると、本当に終わっているような気持ちがしてくるから不思議です。
適度にゆるく、適度にストイックに
どうやら人生は、「適度にゆるく、適度にストイックに」という生き方が良いようです。
たとえば、意識高い系は周りの気持ちなんて全く気にせずに、「俺は成功する」とか「仕事が楽しい」とか言ったりします。
そう思うことは全く悪くないのですが、皆が皆、一つの目標を持って生きているわけではないと理解する必要があります。意識高い系がまわりからウザがられる理由の一つは、きっとそのひたむきな向上心が疎まれるためです。
もしも20代前半(超絶意識低い系)の頃の私の目の前に、「仕事最高に楽しい」と公言する未来の自分が現れたら、殴ってしまうかもしれませんw
もしも意識高い系の人がまわりとうまくやっていきたいと思うなら、たとえば「居酒屋で上司の悪口を言い合うような生き方も、一つの生き方として存在するということを理解すること」です。
というかむしろ、
こういう人たちの生き方のほうが、どちらかと言うとスタンダードな生き方です。
ふつうに考えてみてほしいのですが、「部長の○○ムカつくよね~」と言われた時に、「いや、そんな人のことなんて気にしないで目の前のタスクに集中しなよ」とか言われたら、「はっ?」てなりますよね?
周りが見えていない意識高い系って、
わりとこういうことをしがちです(笑)
それはさすがに違うんじゃない?というのが私の考えです。
人生には無駄と思えるようなことも必要
人生には、たまには意味のない飲み会に行ってみたり、ゆっくり温泉に浸かってみたりといった、一見無駄と思えるような時間が必要なのではないかと考えています。
いつもストイックに全力疾走では、いずれどこかに悪影響が出ます。人間は機械ではないのです。
私はこう考えていたことがあります。
毎朝朝5時に起きて、テレビなどを一切見ずに、誰とも遊ばずに、仕事や勉強をしたら一年でどれだけのことができるのだろう?
そして実際に行動にうつしました。
たしかにたくさんのことができました。
でもいつも心が休まらなかったし、「こんな日々がずっと続いたら身体や心を壊すんだろうな?」と思いました。
あなたの人生は、まだまだ先が長いです。どうかご自身の心や身体、そしてまわりの人たちを大切に生きてください。それに、一見無駄に思えるようなことから、価値あるアイデアが生まれる可能性も十分にあります。
私が「会社員の生き方はリスクが高い」と思うようになったのは、ニートの時期、つまり無駄に思えるような時期を過ごしたことがあるからです。
今では、ニートの時期があって本当によかったと心から思っています。
「適度にゆるく、適度にストイックに」
長い人生の中で一時的ではなく長期的に成果を出し続けるためには、ストイックになりすぎてはいけません。心と身体の健康バランスを維持しながら成果を出していきましょう。