たぶん、交通誘導員になりたい子どもは一人もいない。
寄付を通じて数年前から交流している外国の女の子は、「科学者になりたい」と言っていた。
でも現実的には、深夜の街中では、交通誘導員の誘導棒が光っている。
それはつまり、交通誘導員になりたかった、ならざるを得なかった大人がいることを意味する。
なぜ大人は、交通誘導員という仕事を選ぶのだろうか?
職業の理想と現実

小学生のなりたい職業の7位に「ユーチューバー」がランクインしている。
他にも、「警察官」とか「スポーツ選手」とか、「パイロット」とか、かっこいい仕事が並んでいる。
子どもは「なれるかどうか」ではなく、「なりたいかどうか」を基準に仕事を選ぶから、憧れをもっとも大事にする。
一方で大人になると、「なりたいかどうか」ではなく、「なれるかどうか」が仕事を選ぶ基準になる。
理想的な仕事の選び方は「なりたいかどうか」だけど、現実的には「なれるかどうか」で仕事を選ばなければならなくなる。
生きていくために、
仕事を獲得するために。
その結果、寒い夜の中、機械でもできるような単純な棒振りを、延々とやる人たちが出てくる。
20代前半の頃に1日10時間近く工場で働いたことがあるけれど、あまりの単純作業に、長く続けていたら頭がおかしくなると思った。
延々と同じことをやる作業は楽だけど、ルーティン作業が苦痛な人間にとっては地獄だ。
冬の交通誘導員とか、立ちっぱなしで腰も痛そうだし、きっと大変だろう。
一方で、彼らに仕事を発注した人間は、
暖かい部屋の中で鍋でも食べているのだろう。
あるいは、夜の街でホステスと酒でも飲んでるのかもしれない。
社会の残酷な仕組みを知ることもなく、
子供たちはただ無邪気に笑う。
友達とオンラインゲームをやる約束をしたり、寝てしまった授業のノートを見せてもらう約束をしたり、「将来の希望」を背負って子どもは学生生活を過ごす。
でも、将来の希望を背負い続けられるのは、ほんの一部の人間だけで、ほとんどの人間が、社会を構成する「人間1」や「人間2」になっていく。
きっと大人たちは知っていたんだろう。
ピカピカのランドセルを背負った子どものほとんどが、夢を叶えられないことを。
幸せになれないことを。
学問では人は救われない

もしも、親や学校の教師が、冬の夜に道端で眠るホームレスを一度でも見たことがあるならば、「子どもに何を学ばせるべきか」がわかるだろう。
子どもを本当に守りたいと思うなら、もっとお金とか、具体的な仕事の話をするはずだ。
サイコロの6の目がでる確率とか、マルクス経済学ついて語るのも面白いけれど、我々が現実的に立ち向かうのは、毎月の税金とか、出世とか、もっと現実的で人間的な事柄だ。
理論じゃ現実の問題は解決できない。
そして、現実的な問題に対処できない人間は、貧困や孤独に堕ちていく。
キャリアを自分で描く

でも実際には、人生を生き抜くコツは学校では教えてくれない。
たまに変わった先生がいて、授業の話じゃなくて人生論の話をしてくれるかもしれないけれど、それは少数派だ。
「学校に行かない」ゆたぼんや、「東横キッズ」をバカにする人たちは多いけれど、学校に行ったからといって、成功できるわけでも、幸せになれるわけでもない。
歌舞伎町に行くと、人生に失敗した人間が生物の本能に従って子どもを生み、その子どもがまた失敗するという、負の連鎖をその目に見ることができる。
でもエリートサラリーマンだって、会社が傾いたキッカケに貧困に陥ることがあるし、高収入の男と結婚して贅沢三昧の主婦だって、貧困に堕ちることもある。
ネットや本には、偉そうに「こうあるべきだ」論が溢れているけれど、現実の人生には、唯一の正しい正解は存在しない。
ここで伝えたいことは、誰かに頼って生きていたら、何かが人生をバラ色にしてくれると思っていたら、「詰む」ということだ。
歳を取れば取るほど、自分が詰んだり、まわりの誰かが詰んだりして、「どんな人間が詰むか」みたいなことがわかってくる。
「終身雇用制がなくなるから会社員は危険」という言う人もいるけれど、会社員という生き方それ自体が危ないというわけではない。
「であれば起業を」という声もあるけれど、
誰もが起業で成功できるはずがない。
会社員を選ぶにしろ、起業するにしろ、大事なのは、スキルとか金融資産とか、何か役に立つものをストックし続けることだと思う。
世の中には、貯まっていくものと、
消費されていくものとがある。
たとえば、若さは消費されていく。
肌や髪も時が経つにれて劣化していく。
若い頃はニコッと笑うだけで男のハートを射止めらた女性がいても、歳をとるとそれは通用しなくなる。
風俗やキャバクラ、ホストに30代以降の人間が少ないのを見れば、若さは消費物だということがわかる。
一方で、コンサルティングなどで実績を上げれば、その実績を持って、何十年と稼ぎ続けられるケースもある。
たとえば、米国のコンサルタントの「ジェイ・エイブラハム」氏は、70歳を超えているけど、1社何百万円という高額な報酬を取っている。
世界一の投資家「ウォーレン・バフェット」氏が開く株主総会には、彼の話を聞くためだけに、世界中から投資家が参加する。
本の出版もストック型の行動だ。
本を出版すれば、業界の有名人としての認識をもらえて、影響力を持つことができる。
大人になったり、歳をとって詰んでいく人間というのは、結局のところ、ストックがない人間だ。
そしてなぜストックがないかと言えば、
その場その場を刹那的に生きてきたからだ。
会社が倒産して職を失ったとしても、
自分のスキルや実績があれば、
転職することも起業することもできる。
貯金がちゃんとあれば、突然「家なし生活」なんてことは絶対にない。
でも若さのような消費物を頼りにしていたり、とりあえず稼いで、とりあえず使ってみたいな生活をしていると、それがなくなったときに、急激に追い込まれる。
急激に追い込まれて、路上生活や生活保護生活になったり、「なりたいかどうか」ではなく、「なれるかどうか」で仕事を選ばなければならなくなる。
「消費物」を重視していたか、「ストック」を重視していたかは、歳をとったときにハッキリと目に見える形で現れてくる。
機械のように規則的に動く「誘導棒」はその象徴だ。
将来的に詰みたくなかったら、未来においても利用できる何かに時間やお金を注ぎ続ける必要がある。
子どもの頃に知りたかったのはこういう事実なんだな。
