自粛がつらいと感じたときに自問自答したいこと

  • 自分は我慢しているのに、遊んでいる人たちがいてズルいと感じている
  • 最初はよかったけど、これ以上耐えるのは厳しいと感じている

外出(遊び)自粛を徹底的に守っている人は、もう一年以上、旅行だったり、帰省だったりを我慢していると思います。

そこまで徹底していなくても、多くの人たちは、国の要請に従って自粛生活をしていると思います。

けれども、この状態がいつまで続くかわからなくて先が見えなくなったり、他の人たちが平気で旅行してたりするのを見ると、「意味あるのかな?」と考えてしまいますよね。

私もそう思っていました。

同じように感じているあなたにご提案です。

ちょっと頭を柔らかくして、あなたのこれからについて考えてみませんか?

目次

自分はどうしたいか?を考えてみる

自粛がつらくなったときに考えたいことは、自分はどうしたいか?ということです。

「不要不急の外出は控えてください」という要請が出ていますが、不要不急の解釈は自分次第ですし、仮に不要不急だと思われるような外出をしたとしても、何かを言われるわけではありません。

外食や洋服などの買い物は、コンビニやスーパー、通販で代替できるので、本当に緊急事態であれば必要ありません。

けれども、それでは日本の飲食店や洋服屋などはつぶれてしまうので、一定数の人たちにはお店に行ってもらう必要があります。

問題なく外出ができるようになったときに、廃墟のような街になっていたら嫌ですもんね。

一定数の人たちには外出してもらう必要があるのですが、その一定数の人たちは、「自粛できない人」「街中の人手を増やしている人(原因)」との評価を受けています。

たとえばほかにも、「他県をまたぐ移動は控えてください」と言われていますが、私のパソコンの画面には「この時期だからこそ旅行」のような動画広告が流れています。

旅行会社も生き残るのに必死なので、
このような広告を流しています。

今の世の中には、矛盾するたくさんのメッセージが流れています。

ですので、
我々は混乱するわけです。

「絶対ダメってわけではないけど、避けたほうが良い」といった態度や、「自粛をしなくてもペナルティがあるわけではない」といった状況のため、我々はどうするべきか迷います。

迷うということは、
意見が分かれるということでもあります。

意見が分かれると、議論がはじまるので、人によっては、あるグループに属していながらも、別のあるグループの人たちがうらやましく思えたり、自分の所属するグループに疑問をいだいてしまったりするわけです。

まさしく今の状態なわけですが、外出自粛が要請のレベルで、一定数の人たちが経済をまわすことを黙認するしかない以上、どうするべきか?は自分が決めることです。

我慢していると考えると、怒りが生まれてしまう

なぜ自分でちゃんと決める必要があるかというと、我慢していると考えると、怒りが生まれてしまうからです。

街中の人手の増減に一喜一憂している人たちは、「自分は我慢しているのに、あいつらは好き勝手している」と考えています。

その通りかもしれませんが、そんなふうに考えて、ニュースや街中のモニターをチェックしても、つらくなるだけです。

はじめての緊急事態宣言のとき、たくさんの人たちが外出自粛して、多くのお店も閉まっていましたが、結局今でも問題は解決していません。

もっと現実的に考える必要があります。

私は外出自粛派ですが、遊んだり旅行したりしている人たちを攻撃しても、何も解決しないと考えています。

自由に出歩いている人たちを見て、「あいつらふざけんな」と思ってしまうのは、我慢していると考えているからです。

我慢しているのは確かですが、我慢させられていると考えると、嫉妬や怒りが生まれてしまいます。

「つらい」と感じてしまいます。

そのように感じないために、
自分で選ぶことが大事なのです。

自由に遊び歩きたいのか、
それとも家で安全に過ごしたいのか。

あなた自身にこの質問をしてみることです。

遊んでいる人たちの仲間に入ることもできる

答えが「自由に遊び歩きたい」であれば、遊んでいる人たちの仲間に入ることができます。

自由に旅行することができるし、クラブで朝までお酒を飲むこともできます。

ただその一方で、自分が感染する可能性は家にいるときよりも高くなりますし、自分が感染することによって、自分のまわりの人たちを感染させる可能性もあります。

また、自分は自粛ができない人間なんだということを、自分自身や周囲に印象付けることにもなります。

自粛している人たちの仲間に入ることもできる

答えが「家で過ごす」であれば、外出自粛している人たちの仲間に入ることができます。

家で過ごす時間を有効に活用することができれば、将来に役立つ可能性があります。

同居人や職場での感染がなければ、比較的安全に過ごすことができます。

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ただその一方で、旅行はできないし、飲み会への参加や帰省などもできません。

遊びたかったけど、遊んでいる人たちの仲間にはなりたくなかった

私は飲み会などはすべて断っていますが、「遊びたい」という気持ちもあります。

でも今は、「もうちょっと頑張ろう」と考えています。

なぜ「もうちょっと頑張ろう」と思っているのか?

少し、過去の話をします。

ある日、しばらく連絡を取っていないクラブで知り合った知人から連絡が来たときのことです。

「クラブって今の時期やってるの?」と驚いてホームページを見てみたのですが、どうやら営業しているようです。

けれども、「どうせ今の時期にやっても客なんて来ないだろ」と思った私は、ある夜、クラブに行ってみることにしました。

実際にクラブに入るつもりはなくて、本当に営業しているのかということと、どのくらい人が入っているのかを見に行くためでした。

久々に夜の街に行ってみたのですが、そこで目にしたのは、想像していたよりもずっとひどい光景でした。

マスクをしないでうろつく人たち。

スカウト、ナンパ、客引き。

クラブの入り口前にできる行列。

路上飲みのグループ。

その光景を見たとき、
すごく怒りがわいてきました。

「自分は我慢しているのに」という気持ちではなく、必要な買い物以外は外に出ない実家の家族や、歓迎会も開いてもらえない職場の新入社員のことを思うと、悲しみと怒りが同時にわいてきました。

そしてそのとき、「自分は遊びに出歩いている人たちを否定はしないけど、彼らの仲間には入りたくない」と感じました。

まとめ

もしもゴールが示されていたら、「遊んではいけない」と言われても、きっと耐えるのが簡単になるはずです。

でもそうではありません。

だからつらくなってしまう気持ちもわかります。

つらくなってしまったときに大事なことは、「自分はどうしたいのか?」を考えてみることです。

「遊んでいる人たちの仲間に入りたいのか?」それとも「家で過ごす人たちの仲間に入りたいのか?」

私は、夜の街の景色を見たとき、少なくとも、「遊んでいる人たちの仲間にはなりたくない」と思いました。

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