人生に失敗してしまったひとたちへ

『家、ついて行ってイイですか?』というTV番組に、高校野球を応援する無職のおじさんが出ていた。

試合の応援のために仕事を無断欠勤してクビになったらしい。

自分自身は中卒で甲子園を目指していたわけではないけれど、その代わり、高校野球の応援に人生をかけるほど熱中しているらしい。

おじさんのアパートの部屋の机の上には、
缶チューハイの空き缶が何本も置かれていた。

人生に失敗してしまったひとたちへ。

目次

みんな足掻いてきたんだろ?

大学生の頃、バイト先の店長が上司にペコペコと頭を下げているのを見て、「なぜ人に媚を売ったりするのだろう?」と疑問に思っていた。

社会人になってから、「仕事辞めたい」という話を誰かから聞かされるたびに、「じゃあ辞めれば」と答えていた。

今も同じように思っているけれど、
少しだけ人の気持ちがわかるようになった。

スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさんに嫌悪感をしめす大人は多いけれど、しがらみを無視した正論は、現実を直視している人たちを怒らせる。

西村博之氏やホリエモン、DaiGo氏、古市憲寿氏など、ズバッと物言う人たちがブームになっているけれど、彼らに怒っている人たちも同じだ。

「そんなことわかってる」「でも現実はそんなに単純じゃない」と思う人たちが多いからだ。

一方で、グレタさんやホリエモンのような人たちには熱狂的な支持者もいる。

主に、若者に支持されている。

「歳を取った人たちは変化を恐れ、若者は変化を歓迎する」というのが、世間一般のイメージだと思う。

政治でも会社でも、
なぜか出る杭は打たれる。

ちょっとでも目に付くことをすれば、
「あの人は変わってる」と「色物」扱いされる。

なぜそうなるのか、
社会に出るまではわからなかった。

でも社会に出て、会社で働いて、お金持ちになるために必死に行動して、そのほとんどが失敗して、たまにうまくいくような人生のなかで、なぜ「世の中を良くしようと戦うグレタさんと戦おうとする人たち」がいるのかが少しわかった。

要するに彼らは、「現実をちゃんと見ていますか?」と言いたいのだ。

「辞めたいなら辞めれば」という解答に対して、「じゃあ辞めるわ」とならなかったのは、普通の大人は、「口で言うだけなら簡単」と知っているからだ。

なぜ彼らはそれを知っているのか?

毎日の生活を必死でやりくりして、子どもの世話に手を焼いたり、部下や上司、同僚との関係に悩んだりするからだ。

つまり、現実に立ち向かう大変さみたいなものを、経験を通して理解しているのだ。

でも親からの仕送りで遊んでばかりの大学生や、人生がうまくいっていち早く成功ををおさめた人間は、日常的な苦労を知らないから、理想主義の再現性についてろくに考えずに、シンプルな主張に惹かれる。

「消費税の廃止」や「ベーシック・インカム」もその手の話だ。

じゃあ現実的な人たちが理想を持っていないかと言ったら、そんなことはないと思う。

大きな野心を持っているかはわからないけれど、きっと若い頃は、「芸能人のような綺麗な女性と結婚したい」とか「お金持ちで頭が良い人と結婚したい」とか、理想的なライフを思い描いていたに違いない。

今満員電車で通勤している人の中には、理想を現実にするために起業した人だっているかもしれない。

理想の人を見つけるために、
合コンに参加しまくった人だっているかもしれない。

でもほとんどの人たちの夢は叶わない。

夢は叶わずに、歳だけをとっていく。

歳をとっていくと焦って、
結局は現実を受け入れざるを得なくなる。

そうやって何かに負けることで、
現実の厳しさを学んでいくのだ。

カーネル・サンダースの話は聞き飽きた

「諦めなければ夢は叶う」と言う人もいるけれど、現実的には、ほとんどの人のほとんどの夢は叶わない。

「死ぬまで追い続けないとわからない」と言われるかもしれないけれど、普通の人は、何度か失敗すると戦うことをやめてしまう。

年齢的な制限で、
あきらめざるを得ない場合もある。

「歳なんか関係ない」というテーマになると、よくケンタッキー・フライド・チキンの創業者「カーネル・サンダース」が引き合いに出される。

「彼は65歳から頑張った」というわけだ。

いろんな人の話や、いろんな本に、
もう聞き飽きるくらい出てくる。

でもカーネル・サンダースが出てくるたびに、「歳をとってから成功した人ってカーネル・サンダースしかいないの?」と思っていた。

実際には名もなき成功者がいると思うのだけど、どの本にも、どの話にも、カーネル・サンダースしか出てこない。

それはつまり、歳をとってから夢を叶えるのがすごく特殊な例だということだ。

腰を上げて新しいことをはじめるのが億劫になる

これは個人的な話だけど、毎年毎年、歳をとるたびに、新しいことに挑戦する欲みたいなものが少なくなっているように感じる。

20代前半の頃は、「失敗してどん底に落ちても這い上がればいいだけ」と思っていたけど、だんだんとそういう気持ちがなくなってきている。

若い頃は「貧乏でもゆるく生きていければいい」と思っていたけれど、今は、「40とか50でボロアパート生活とかごめんだ」と思っている。

理屈では、人生に失敗はない。

なぜなら、「失敗した」と思っても、生きていればその時点で挽回することができるからだ。

でもそれはあくまでも紙の上での話で、
現実的にはそううまくはいかない。

たとえばそれは、「頑張る気力がない」ことが原因かもしれないし、「一日中動く体力がない」ことが原因かもしれない。

あるいは、失敗続きで自己肯定感を失ってしまったことが原因かもしれない。

人生に失敗してしまったひとへ。

「人生に失敗してしまった」と思っている人が再び立ち上がるのは、思いのほか難しい。

妥協して生きるか、地獄に突き進むか

でも実際には、「人生に失敗した」と思っても生きていくことはできる。

たとえば、大企業への新卒入社に失敗したニートであっても、そのへんの中小企業に入って、平均くらいの給料をもらって生きていくことはできる。

たとえば、俳優やアイドルで売れる夢が破れた人だって、会社員として第二の人生を歩むことはできる。

そうやって生きていくことはできるし、
大半の人はそうやって生きている。

何かをあきらめることによって、
新しい道が開くことはよくあるし、
それは必ずしも悪い道だとは限らない。

だから人生のどこかで、「失敗した」と思いつつも、それなりの人生を歩むことを受け入れるもありだと思う。

すごく楽しいことはないけれど、
すごく悲しいこともない人生。

誰かに賞賛されたり、スポットライトが当たることはないけれど、道端の雑草みたいに踏んづけられる心配のない人生。

そういう人生はあるし、たぶん、世の中の圧倒的多数の人たちは、人生のどこかでそういう道を選んで生きていく。

でも一方で、失敗した人生をもう一度軌道に乗せるために生きることもできる。

たとえば、「冴えない人生だったな」と缶チューハイを飲むサラリーマンが、会社を辞めて起業するという道もある。

たとえば、全然客が入らなくたって、メジャーデビューを夢見て、バンドとして演奏し続ける道もある。

もう少し現実的な話として、「自分の人生は失敗だ」とウジウジ悩む休日に、ウーバーイーツの副業でお金を貯めるのも良いかもしれない。

貯めたお金で何をするって?

何をすれば良いかがわからないなら、
仮想通貨にでも全額突っ込んでおけば良い。

あるいは、少し難関な資格に挑戦するのも良いかもしれない。

こんな話をすると、「お金を損したらどうするのか?」「不合格になったらどうするんだ?」と言う人が出てくるかもしれない。

でもすでに人生が失敗しているとするなら、
べつに失敗したって良いのではないだろうか?

失敗したと思っているのにもかかわらず、
何を守ろうとしているのだろう?

「人生に失敗した」と思っているなら、あきらめてそれなりに生きるか、リスクをとって進むしかない。

進んだところで成功する保証はないから、
その先に待っているのは地獄かもしれない。

でももしも、その場所にいることも地獄であるならば、少しでも人生が変わる可能性のある道に進むべきなのではないだろうか。

でも生き直そうと思った人たちに対して、世間はあまり優しくない。

「年齢を考えろ」

「甘い」

「どうせ失敗する」

一度立ち止まって考えてみるという意味で、
こういう言葉は役に立つこともある。

でも人生に失敗している人たちは、
誰かの批判に引っ込んでいるような余裕はない。

それはやっと見つけた希望なのだから、
その灯火を誰かに消されないように、
大切に守らなければならないのだ。

そして進むのである。

たとえその先に待っているのが地獄だとしても。

リスクを取るとか、覚悟を決めるとかいうのは、そういうことだ。

こわいけど、でも進まなければ、
ずっとそのままだ。

人生に失敗してしまったひとたちへ。

もう一度、希望を見つけてみよう。

人生に失敗してしまったひとたちへ。

もう一度、自分に期待してみよう。

現実をあまりにも知ってしまったひとたちへ。

もう一度夢を見てみよう。

WebFight
スキルと勇気があれば
レールを外れても生きていける
人生を変える情報はいつも運命かのように見つかる
愚痴ばかりの飲み会には参加しない
つまらない会議では発言しない
普通の幸せは求めない
ゆるく生きるために
誰よりも真面目に働く
クレイジーでいこう
外野の目なんて気にしていたら
短い人生はあっという間に終わってしまうから
もしよろしければシェアお願いいたします。
目次