生きる意味なんてない。
少し大人びた子どもや、繰り返しの毎日に嫌気がさした大人は、「自分の生きる意味は何だろう?」と考える。
そんなとき、「あなたの歌に救われました」とか、子どもやペットに愛情を注いでいる人たちなんかは、特に問題なく、人生に意味を見出せるのかもしれない。
問題なのは、
何もない人たちだ。
私自信が、何もない人間だった。
人生がよくなっている気がしない。
右肩上がりどころか、
維持できているかすら怪しい。
右肩下がりの人生のような気がして、生きる意味を探していた。
生きる意味を探して、夜の街を毎日のように彷徨った。
自ら命を絶つ人たちのことを、「なぜだろう?」と不思議に思う人たちがいるけれど、言わせてもらえば、この世の中で普通に生きていられるほうがよほど不思議だ。
「トー横キッズ」と呼ばれる若者たちがいて、彼らは邪険に扱われているけれど、彼らの気持ちはなんとなくわかる。
誰だって普通に生きて愛されたいし、
勉強も運動もできる人間でありたい。
薬に溺れたり、殴られたい人間なんていない。
誰だって、芦田愛菜ちゃんや、大谷翔平選手にないたい、理想の上ではね。
でも現実はどうだ。
そううまくいくはずがない。
生まれた時点で、圧倒的に恵まれている人間がいて、笑えないくらい負けている人間もいる。
頑張っても数学の問題が解けない人もいる、国語の問題文が理解できない人もいる。
「キモい」っていじめられてしまいう人たちもいる。
「テストで良い点を取りなさい」
「部活ではレギュラーになりなさい」
「まぁ悪くない顔の人と付き合って、30歳くらいまでには結婚して、親に孫の顔を見せなさい」
ごく一般的なレールの上を歩かされて、あたかもそれが「生きる意味」かのように教育されるけど、一部の人間はそこからあぶれて、そしてあぶれた人間に対する救いは、学校教育では用意されていない。
戦争や、感染症、不景気、様々な要因によって、標準からあぶれる人間は増え続けている。
生きる希望のない人間が量産されていく。
深夜の街中を徘徊する、まるでゾンビのように、生きる意味を探す化け物と化した若者たちは。
街中は死臭で溢れている。
生きる意味はどこにある?
生きる希望はどこにある?
君と同じように歩き回ったことがある。
ゾンビのように歩き回った先に何があったと思う?
君よりも少しだけ人生の先輩として、教えよう。
答えは、何もなかった。
何もない。生きる意味なんてなかった。
だから他者に対してもう嘆くことはない。
0歳でこの世を去ったからといって、
「あまりにも早すぎる」と嘆くことはない。
だから100歳の大往生でも、「悔いなし」と讃える必要もない。
生きることに意味なんてないのだから、この世を去るのが早かろうが遅かろうが、大した違いはない。
少なくとも本人にとっては。
ところで、仮に生きる意味がないのなら、「なぜ人は生きていられるのか?」だ。
街中では楽しそうに買い物するカップルがいて、ダルそうに電車に乗るサラリーマンがいて、「なぜ彼らは生きていられるか?」についてだ。
正直なところわからない。
普通に生きられる人たちはいい。
普通に生きられる人たちは、それはそれで一種の才能で、問題なのは君のような人間だ。
経験上、哲学書なんかを読み漁っても無駄だ。
哲学書含め、何千冊という本を読んだけど、答えはどこにもなかった。
そんな君に言えることは、ただひとつ。
生きる理由を無理にでも与えることだ。
「これだけやっていればOK」「これだけあれば生きていける何か」を見つけるんだ。
キャバクラでも、ホストでも、アイドルでも良い。
金でも良い、出世でも良い。
それを見つけたら、金に糸目をつけずに追うんだ。
貯金の数値ばかりが積み重なって、
鬱屈として人生を終えたくないのなら、
どうにかして自分を喜ばせなければダメだ。
そしたらその間だけ、君は生きていられる。
その間だけ、君は普通の人と同じような「活力のある人間」として、この世の中に受け入れられる。
現実的な話として、何かを追うためにお金が必要になると、「もっと稼ぎたい」とか、「お金持ちになりたい」と思うようになる。
本人の資質に難があったり、周りの環境が悪かったりすると、そのパワーが犯罪に向かってしまうのだけど、そうじゃなければ、働く意味も生まれる。
その何かがなくなってしまったら?
そしたら、また別の何かを探せば良い。
君は他の人たちよりも、
生きていくために工夫する必要がある。
命は・・・・・・
生命は・・・・・・
丁寧に扱いすぎると
淀み
腐る・・・・!
賭博黙示録カイジ11/福本伸行/講談社
ただ生きるためだけに生きて、腐ってしまわないように。