後悔しない人生なんてない?過去は再定義できる。【過去の自分を救いに行こう】

「もっと早く始めていればよかった」

「もっと早くやめておけばよかった」

過去を後悔することって、誰にでもありますよね?

目次

もがき続ける限り後悔みたいなものはついて回る

自己啓発書を読むと、「後悔しないように今を生きよう」という言葉を目にすることがあります。

自己啓発書に限らず、親や学校の先生、人生の先輩も決まって、「後悔しないような人生を送ろう」と言います。

人生の終焉を迎える人たちの多くが、死ぬ直前になって後悔することリストのようなものもあります。

たとえば、あの時「勇気を持って会社を辞めて起業していればよかった」とか、「変なプライドなんて持たずに言いたいことを言えばよかった」とか。

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私たち若い世代は、子どもの頃から、「後悔しないように」と呪文のように唱えられてきているし、本やネットの情報から、「やりたいことをやらないと死ぬ前に後悔する」というような恐怖観念を植え付けられています。

その結果がどうかはわかりませんが、私たち若い世代は何かを得ることが目的なのではなく、後悔しないことが目的とでもいうかのように、人生の目的を見失って生き急いでいるように感じます。

ですが私が思うに、人生は前に進み続ける限り、後悔みたいなものはついて回る宿命なのではないかと考えています。

なぜなら
過去を定義づけるのは未来の自分だからです。

当然ですが、私たちは誰でも後悔しないように生きています。たとえば肺がんで苦しみながら亡くなる人だって、後悔しないように生きてきたはずです。

肺がんの原因がチェーンスモーキングにあったとしても、若い頃のその人は、「俺は今タバコが吸いたいんだ」と考えていたに違いありません。タバコの煙を吐くたびに、「あー、今日も後悔」と思いながら生きていたとは考えられません。

仮にその人が、「もっと早くタバコをやめておけばよかった」と考えたとしたら、それはおそらく病気が発覚した時でしょう。

たとえばよく、「あー、若い頃にもっと勉強しておけばよかった」と言う人がいますが、それはその人が、勉強しなかったことで、何らかの不都合を感じているからです。たとえば仕事上のこととか、子どもに勉強を教えるようになったとか。

若い頃に勉強をしなかったことによって、何らかの不便を感じたから、急に過去を後悔し始めたのです。

ですが、何らかの不便を感じるまでの人生では、とくにそんなこと考えることもなかったはずです。

たとえばもう一つ例を出します。

大人になって禿げた人が、「若い頃に髪を染めたりパーマをかけたりしなければよかった」と言っていたとしたら、それは、その人が禿げたからこそ生じた後悔です。

もしも禿げていなかったら、髪を染めた過去やパーマをかけた過去を悔いることはないはずです。

つまりは、過去の出来事に対する定義づけは、その出来事が発生した瞬間に行われるというよりかは、未来の自分によって行われるのです。

当たり前といえば当たり前ですが。

もっと日常的な例で言えば、
二日酔いもそうです。

二日酔いを後悔するのは、
二日酔いになった自分です。

未来の自分が後悔するかどうかは運次第

今やっていること、またはやっていないことに対して、未来の自分が後悔するかどうかは、運次第だと思います。

なぜなら、
未来は見えないからです。

たとえば貯金を例にしてみましょう。

一般的に貯金をすることは良いことだとされています。

なので多くの人は貯金をしていると思います。

一般的に良い行いとされている貯金ですが、場合によっては未来の自分が、今貯金をしている自分を後悔するケースもあります。

  • 日本政府が破たんし日本円に価値がなくなる。(日本円のみで貯金している場合)
  • 節約によって貯金したことで、若い頃にもっと海外旅行に行ったり、いろいろな経験を積めばよかったと後悔する。
  • 節約によって貯金したことで、若い頃にもっと本を買ったりセミナーに出たりして、自己投資をすればよかったと後悔する。
  • 投資の世界を知り、貯金の利子率の低さに気付き、貯金ではなく投資をしておけばよかったと思う。

これらはどれも、
未来にならないとわからないことです。

そして自分の未来がどの道に進むかは、程度の差こそあれ運次第だと思います。なぜなら、人生には不確定要素があまりにも多いからです。

たとえば、たまたま行ったセミナーでの気付きだったり、たまたま手に取った本からの気付きだったり、テレビドラマ、ユーチューバーの言葉、ツイッターのつぶやき、人が気付きを得る瞬間はコントロールすることができません。

30年間タバコを吸ってきた人が、肺がんで末期の人の言葉によってタバコをやめるかもしれません。たった一言によって、それまでの30年間のタバコの煙に後悔するかもしれません。

どこに後悔のキッカケが潜んでいるかはわからないのです。

誰でも今を一生懸命生きている

東大を目指す受験生だって、昼からアルコールの中年オヤジだって、今を生きているということに変わりありません。

何もやることがなくてスマホをいじっている1時間だって、べつに時間という命を無駄にしたくて生きている人はいないはずです。

今この時点では、東大を目指す受験生だって、昼からアルコールの中年オヤジだって、今この瞬間を定義付けることは不可能です。

今を定義付けるのは未来の自分です。

東大を目指す受験生は、東大に合格すれば過去を肯定できるかもしれませんが、不合格になれば過去を悔やむかもしれません。昼からアルコールの中年オヤジが、数年後のアルコールの日々を必ずしも後悔するわけではありません。

なぜなら、
後悔と気付きはセットだからです。

何かしらの気付きがなければ、
後悔もありません。

遊びまくった過去の自分

大学時代の私は、毎日毎日遊んでばかりいて、勉強もロクにしなかったし、就職活動もまともにしませんでした。その結果、大学時代に誇れることといったら遊んだ女性の数くらいです。

卒業後数年経って、私は大学時代のことをすごく後悔しました。

同世代の人たちは、出世したり起業したりして成功している。

同世代の人たちが「今年のボーナスは○○だった」と話している時に、私はといえば、あまりにもお金がなくて、コンビニのカップラーメン売り場の前で、「これ買ったらどっかで何か我慢しないとな」と考えるような日々を送っていました。

まぁ、自業自得だなと思っていました。

会社員は皆、「宝くじに当たったら仕事を辞める」と言っている

私が過去の自分を肯定できるようになったのは、私が会社員として働き始めた時です。

私が気付いたのは、会社員として働く人の多くは、ワークもライフも中途半端だということです。

彼らの多くは、毎日毎日嫌々仕事をして、「お金さえあったらこんな仕事辞めてやる」と言っています。

たまの長期休暇に旅行に行ったりして、わざわざ激混みの中観光地に行ったりします。

これってちょっと不思議なんですよね。

365日、数年間にわたって遊び続けていた私にとっては、「遊んで暮らす」という言葉の意味がよくわかりません。

なぜなら、遊んで暮らす人生が特別最高なわけではないと知っているからです。

お金がすごくあったらまた違うのかもしれませんが、遊んで生きるのって、けっこうすぐ飽きますよ。

私は仮に、宝くじに当たったとしても仕事をし続けると思います。完全に好きなことだけを仕事にすると思います。給料とかいらないので、ただ好きなことだけのために働くと思います。

私がこの思考にたどり着いたのは、誰よりも遊んで暮らした生活があるからです。

逆に、「宝くじが当たったら仕事辞めて遊んで暮らす」と言っている人たちは、中途半端にしか遊んだことがないからです。振り切ったことがないからです。

あとは他にも、私が「会社を辞めても生きていける」と考えているのは、私が毎日遊んでいても暮らしていけるサバイバルスキルを身に着けているからです。

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過去の自分を救いに行こう

あなたには、
ずっと後悔していることがありますか?

何か後悔していることはありますか?

後悔には2つの意味があります。

  • 気付き 
  • 再定義のチャンス

【気付き】に関しては、上に書いたように、
人生が変わるキッカケを得たということです。

後悔と気付きはセットです。

二日酔いを後悔するのは、
二日酔いになった時です。

再定義のチャンス】に関しては、後悔した後にどう生きるかによって、過去を再定義できるということです。

気付きによって後悔の感情が生まれたもしれませんが、その後どう生きるかによって、過去は再定義可能です。

二日酔いになった時、翌日の夜にまた同じように浴びるように酒を飲んだら前日の後悔は後悔のままですが、もしも後悔したことによって、お酒をやめたり、お酒を飲む量を調節するようになったなら、二日酔いになった過去は、習慣を変える素晴らしいキッカケになります。

たとえば自暴自棄の生活を送って末期の病気になった人が、病気になったことで自分を見つめるキッカケを得て、その後の人生を感謝で終えるという例もあるはずです。

これが、過去の再定義です。

ですから、もしもあなたが人生で何か後悔していることがあるのなら、これからの人生によって、過去のあなたを救いに行くことができます。

きっと、その当時のあなたは、今と同じくらい一生懸命生きていたはずです。

ひどい言葉で人を傷つけてしまった時も、退屈な授業中に眠ってしまっていた時も、誰もがその時を一生懸命生きていたはずです。

未来から過去を定義することはできますが、過去から未来を定義することはできません。

たとえば今あなたが、遊びの誘いをすべて断って勉強していても、夢のために地べたを這うような生活を送っていても、そこに意味があったかを定義するのは未来のあなたです。

今どれだけ頑張っていても、未来のあなたによって、今の自分が否定される可能性があるのです。

それってちょっと悲しくないですか?

未来のために頑張っているはずなのに・・・

悲しいですよね。

それは、過去のあなたもきっと同じです。

だから救いに行こう。
あの頃の自分を。

今、この瞬間をどう生きるか?

その選択によって過去の自分を救いに行くことができます。

後悔のない人生とはこういうことではないでしょうか?

まとめ

  • 後悔と気付きはセットで発生する。
  • 今していること、しなかったことが後の後悔に繋がるかは運次第。
  • 後悔は、その先の未来をどう生きるかによって再定義が可能。
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