「今すぐに来てほしい」
この質問に対して、どれだけの人が「YES」と答えられるだろう?
社会人になったばかりの頃は、会いたい人に、会いたいときに会えないことが嫌だった。
デートの最中に、翌日の仕事のことを気にしなきゃならないのが、嫌だった。
「仕事」か「プライベート」か。
「仕事」か「家庭」か。
「仕事」か「私」か、
「仕事」か「ペット」か。
世の中には、「仕事」か「何か」を天秤にかけられるような場面がある。
私の答えは、
いつも「仕事以外の何か」だった。
けれども世の中はそれを許してはくれなかった。
「仕事に行きたくない」と思っても、電車に乗らなければならなかったし、一緒に暮らしているペットの元気がなくても、お客に愛想笑いをしなければならなかった。
でも本当は、
もっと別の生き方がしたかった。
会いたい人にすぐに会いに行けて、翌日のことなんて気にせずにデートしたり、クラブでお酒を飲んだりしたかった。
もっと別の生き方がしたかったけど、それができるかはわからなかったし、そもそもそんな世界があるかもわからなかった。
でも現実には、そんな世界が確かにあった。
たしかに、人生というのは制限も多いけど、人間が想像できるような、たとえば「毎日遊んで暮らしたい」とか、「会社に入りたくない」とか、その程度の望みは叶う。
そしてその望みを叶えるための鍵がスキルだ。
お金を稼ぐ力、生活する力。
それこそが、「仕事」or「何か」という問いに対して、「自分にとって大事な何か」を選択する唯一の方法なのだ。
「お金こそが大事」という意見はあるし、実際その通りなのだけど、お金を稼ぐ力がないと、減っていくばかりだから、それって不安な生活にならないだろうか。
「失敗しても大丈夫」
「会社を辞めても生きていけるから問題ない」
自信や安心というのは、
スキルという根拠があってこそ成り立つ。
だからこそ、誰もがスキルを追うべきだと思う。
逆に、自分の力でお金を稼ぐ力がないと、嫌いな人にペコペコしなきゃならなくなったり、大事な何かを差し置いて、憂鬱な電車に乗らなければならなくなる。
スキルの積み上げがなかったり、実績が自分のものにならない仕事では、どれだけ頑張っても報われない。
その先にあるのは、
同じことの繰り返しだ。
ひたすら会社の電話に出続けても、
何も積み上がってはいかない。
永遠と続く平行線の中で、
どれだけ歩いても報われない。
きみはそんな地獄のような毎日を送ったことがあるだろうか?
望むようなライフスタイルの実現や、生きる自信を手に入れたいのなら、常に自分のスキルを意識していく必要がある。
「ところで、きみに何ができるのかね?」
この問いに対して、口ごもってしまったり、「社内では誰からも信頼されて」みたいな答えしか出てこないなら、仮にキャリアとしては成功でも、ライフスタイルという意味では失敗だろう。
そういう人は、会社が倒産したら途端にどん底に落ちるし、意気揚々と早期退職したところで、起業や転職に失敗して詰む。
取り返しなのつかない年齢になって、
はじめて気づくんだ。
「ところで、きみに何ができるのかね?」
この質問に真面目に向き合ってこなかったツケを、いつか取らされることになるんだ。
会社に所属しているとわかりづらいけれど、お金というのは、社内会議をしたり、タイムカードを押したりする結果、生まれるものではない。
お金というのは、誰かが商品やサービスを作って、誰かが売って、その瞬間に生まれる。
でも会社にいると、それぞれの仕事が細かく分けられているから、どの瞬間にお金が生まれているかが見えにくい。
その結果、ちょっと人より仕事が早いとか、お客とコミュニケーションを取るのがうまいとか、狭い領域で、「仕事ができる」と判断される、思い込んでしまう。
ところが実際には、「仕事ができる」と思われていた人間も、会社の看板を外した途端、「全然うまくいかなくなった」という例も多い。
それはひとえに、「仕事ができる=スキルがある」と思い込んでしまった結果だ。
難しいのはその見極めだ。
いま自分が頑張っていることは、
果たして明日につながるのだろうか?
手っ取り早く確認する方法は、クラウドソーシングなんかで仕事を受注してみることだ。
結局のところ、需要がなければ、いくら「俺はできる」と主張しても意味がないのだから。
あるいは、転職サイトに登録してみるのも良いかもしれない。
そうすれば、自分の専門職としての市場価値がわかる。
「結局のところ、何ができるんですか?」
実のところ、過去に一度、
お客に言われたことがあった。
その場を取り繕うとことはできたけれど、その後もずっと、この問いが頭に残っていた。
何か色々できそうだけど、
結局のところ何ができるのだろう?
自分に何ができるのだろう?
過去の自分は、電話対応とか、ただ事務的にパソコンを扱うことに時間と労力を使っていた。
あの日々はあの日々で意味はあったけど、結局のところ自分には何もなかった。
何も残らなかった。
「ところで、きみに何ができるのかね?」